2003年1月29日水曜日

Le Monde : 料理への愛着状況

2003.1.29
美食の国フランスにおいても家庭では手抜き料理が横行しているとのリポート。悲しいですね。亭主が自分で作ればいいのでしょうが、あまり台所にしゃしゃり出るのも良くないし・・・、時代の変化に自分を合わせるしかないのかな。

 
Etats d'âme en cuisine (2003.1.29)

料理への愛着状況


専門家は、20才から35才の女性の間で、一種の「料理ノウハウの欠落現象」が見られるという。

「料理をするのは私は大嫌い。おいしいものを食べたりお招きをしたりするのは好きなんだけれど、台所に立つと考えただけで厭になるわ。だから高いお金を出して出来上がったお総菜を買ったり料理の宅配を頼むの。ごめんけど、買い物は嫌いだし、台所で3時間もかけてお料理を作るなんて、絶対にいや」

32才のマチルドさんは、このように料理が出来ないことを、彼女のお母さんとは違って、隠そうともしない。彼女だけの特別のケースだろうか? そうでもないようだ。栄養摂取学の専門家は最近20才から35才までの大都市の勤労女性の間で。一種の「料理ノウハウ欠落現象」がみられはじめていることに注目している。女性はそのようになっているのは、疑いもなく、結婚したカップルの間で、男性は依然として食事の支度にはほとんど関与していないからだそうだ。男性は、たまに週末、みんなの受けを狙って料理を見せびらかすぐらいで、その時ですら後片付けはしない。

一方で、同じような驚くような研究がある。国立経済研究所が最近発表した研究は、週末の豪華食事がえらく流行っていることを強調している。料理学校や料理雑誌が売れているというのだ。しかし、それでもパスタを冷水から茹でるようなことをする料理下手の女性は想像以上に多いのだ。料理嫌いの女性は非常な数に上るようだ。クレドック研究所の専門家は「フランスにおいて、料理の仕方を知らないとなかなか白状できないので(格好悪いと思われているので本当のことは言わないので)調査は簡単ではないが、グループテストなんかで特別の調査をすると明らかに女性の間で料理技術の低下が見られる」という。

「遡って原因を考えれば、世代間の技術移転の断絶がある。料理に興味がない女性は1968年5月世代の母親の子供である」と社会学者は言う。60年代の後半、当時30歳以下の女性は、母親から料理のやり方を教わることを、古くさい女性蔑視に繋がる習慣だとして拒絶したのである。彼女たちが年をとるにつれ、彼女達は昔の料理の良さを再発見することとなったが、ずっと長い間、料理書などは女性解放の妨げとなると信じてきたので、いまさら自分たちの娘に煩雑なスフレの作り方などを教えようとはしないのである。

「若い女性達には、自分たちの母親が何も教えてくれなかったと怒りを表したり母親を責めたりする人たちもいる。でも自分たちで勉強して遅まきながらも料理をうまくなりたいとの気持ちはあり習い始めている。作り方を知らない異国料理の影響もある」と別の研究所の所長は言う。だったら安心だ。

フランスの美食の名声が傷ついていうのはこればかりではない。フランスにおいて、どうも「食」と言うことがかなり複雑になっているようだ。矛盾した現象が見られる。「老年世代は別として、いまフランスにおいては「食べ物の用意」というのと「料理する」と言うことが区別されるようになっている」という。週末には豪華な食事を用意するが忙しいウィークデイは簡単な出来合いのもので済ますというやり方だ。女性の仕事という一般的な風潮のなか、都市生活スタイルの発展したのに男女間の分業が進展しないことで女性に過大な負担がかかっている。食事の準備にかける平均時間は、1988年から2000年にかけて、42分から36分に減少した。電子レンジで冷凍食品を温めたり宅配ピザを利用したりする人が増加したのだ。(宅配ピザの利用者は1995年に5%だったものが、2000年には9%に達した)

冷凍食品メーカーなどでメニューの種類を増やす努力をしているのだが、この(いいかげんなもので済ますという)悪い傾向は変わらない。米国では、フランスのように食文化は進んでいないが、家庭の主婦はエプロンを返上しかけている。ある調査期間の調査では、米国人主婦の半数は、特に若い世代では、凝った夕食を作るのに時間をかけることはとても出来ないと宣言しているとのこと。また三分の二の主婦が「食事準備の手間を省く方法」を探しているとのこと。

フランスにおいて、乳業情報センターが長年研究してきたが、三分の一の成人は、特に女性と若い世代は、料理を作ることは「厭な仕事」とか「義務的な仕事」と考えている。特にフランス北部と西部において顕著である。この二つの地方は体重過多が顕著に見られる地域だ。この料理嫌いの傾向に食品産業は懸念を示している。だから販売する商品も一時は「ちょっと手を加えれば出来上がり」というタイプのものから、今や「超簡単。豪華要理出来上がりパック」が主流になりつつある。「料理がいつまで経っても女性の責任とされているのに、女性はますます忙しくなってきており、特にウィークデイの夕食はこんなものが好まれる」と食品メーカーの販売責任者は言う。彼は続けて「お母さんを責めるのではなくお母さんの責任を輕くしてあげることが大切である。夕食と言うものは料理の質で判断されるものではなく、主婦が如何に夕食の暖かい雰囲気を作ったかで判断されるべきものだ」と強調する。「夕食の暖かい雰囲気」というのは電子レンジで温められるものかしらね?

Jean-Michel Normand

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 29.01.03 

2003年1月18日土曜日

〔再録〕靖国神社問題のボタンのかけ間違い

旧HPから再録。これも面白い:


2003.1.18例によって小泉首相が靖国神社を参拝し、それに対して近隣諸国が抗議をしている。もう慣れっこになってしまったような、いつもの繰り返し劇だが、このまま放っておいても事態は良くならないだろう。むしろ逆で、度重なることで、国内的にも国外的にも、対立と亀裂が深まっていくような気がする。もはや主義主張による議論ではなく、現実的な打開策を求めて、みんなの知恵を出し合わねばならない時にきていると思う。

問題の所在を吟味してみよう。日本の総理大臣による靖国神社参拝は、今に始まったことではない。総理大臣の公式参拝は、GHQによる管理のもとで昭和26(1951)年に吉田首相によって始められ、以来歴代の多くの首相は靖国神社を参拝している。これは国内的な問題とはなったが、近隣諸国からは特に問題とはされず国際問題とはならなかった。なぜ今になって先鋭化した国際問題となっているのか。これはひとえに、昭和53(1978)年に、どさくさ紛れに行われたA級戦犯の合祀にある。これが問題に火を付けた(もしくは火を付ける口実を与えた)のである。

これは見かけ以上に大きな意味を包含する問題である。敗戦処理の根本理念に関する問題であるからだ。日本は戦争に負けた以上、その行為に対する国際的な責任をとらねばならないのは当然であった。同じく戦争に負けたドイツも事情は同じ。ところが、ドイツと日本では敗戦責任の整理の仕方が大きく異なった。ドイツではドイツが行った戦争の非を認めたが、その責任を全てナチス党にいわば押しつけるやり方をとった。「ナチスは非道いことをやった。万死に値する。でもドイツ国民は騙されていたのだ」という整理である。ドイツは率先してナチスを糾弾し、今もナチス残党に対する追求の手をゆるめていない。本当はドイツ人の多くは戦争に積極的に荷担したとしても、自分の非を全てナチスに被せたのである。これを欺瞞ととる人もいるが、ドイツ人一人一人の内なるナチス的なるものへの厳しい自己反省がベースにあり、己に鞭打つ姿勢と理解すべきであろう。その結果、ドイツ人は自国に誇りを持つことが可能となり、過去のことを言われても自分のことを非難されているとは感じずにすむようになり、正当化する必要性も感じないので屁理屈はこねず、近隣諸国の間に多くの友人を作り上げることが出来た。

それに対して日本では、形式的には戦争犯罪人は戦争の責任を背負った形とはなったが、実質的には「一億総懺悔」であり、いわば国民の連帯責任とされた。全員が責任を持つとは聞こえが良いが、結局は誰も責任をとらないと言う無責任なかたちでの整理であった。それが戦犯への同情を生み、日本人一人一人の中に内なる軍国主義と偏狭なナショナリズムを残存させ、個人と戦前の日本を一体化して考える傾向を生み、自己の尊厳を守りたいという人間固有の本能が、即、戦前日本の行動を正当化したいという無理筋の願望に結びついたように思われる。これが自分たち全員の責任をとらされたとして戦犯に対する罪の意識を生み、安易なA級戦犯の靖国神社への合祀につながった。

宗教団体である靖国神社が何を祭ろうとそれは彼等の勝手であるが、昭和53年の段階で、国際的な戦争犯罪者であるA級戦犯が神社に祭られた以上、国を代表する総理大臣が参拝するべきではなかった。1985年に、中曽根首相が、中曽根首相の言葉を借りれば「その時点でA級戦犯が合祀されているとは知らずに」靖国参拝をしたが、たちどころにそれは中国に日本非難の口実を与えることとなった。それはヒトラーの墓をドイツ首相が参拝することと国際的には同じことであり、戦後の平和条約の精神を自ら否定するものであり、理屈は明らかにそれを非難する近隣諸国にあった。ところが国内的にはこのことが内政干渉と受け取られ、偏狭なナショナリズムに火を付けてしまった。逆に靖国参拝をやめることが国内政治的に不可能になってしまったのだ。日本の首相は道理に合わない靖国参拝を続けざるを得ず、日本は国際交渉上の大きな弱みを握られてしまうこととなった。日本は将来に渡って、外交上のハンディキャップを背負うこととなり、国益を大きく損なってしまったのである。

現実的な解決策はないものか。国内のナショナリスティックな感情の高まりを考えれば、首相は何らかの遺族会サービスを続けざるを得ない。靖国に祭られるのは「名誉」であるという遺族の感覚を考えれば、千鳥ヶ淵戦没者墓地への参拝で代替させうる問題ではない。中国と韓国の民衆の間でのナショナリズムは高まる一方であり、これだけこじらせた後で外交的に理解を求めるというのは無理があろう。一番合理的な解決方法は、合祀されたA級戦犯を再びどこかへ移転させることだろうが、現在の国内ナショナリズムの高まりを考えれば、これまた感情的な反発を呼び起こすことになろう。それに神社側は合祀された魂は「一つの岩のように」一体化していて、技術的に今更戦犯分だけを抽出できないと主張している。職人が横になっては合祀も分祀も不可能だ。首相が参拝するたびに「拝礼は戦犯の方を除く」と宣言するのも一案だが、あまり迫力がないし、なんだか馬鹿げている。

一つの奇策ではあるが、「日本武人英雄殿堂」の新しく創立するのはどうであろうか。明治維新以来、第二次大戦までの軍人・軍属の英霊のみならず、戊辰戦争での幕府側の死者の霊、西郷隆盛を始めとする西南戦争の薩摩側の死者の霊、遡っては源頼朝から北条時宗などの日本国の成立に貢献し対外戦争で戦った歴代の武人を一堂に祭る。しかし神道とはせずに靖国神社がもとの招魂社の時代にそうであったように軍人(自衛隊)がこれを管理するかたちをとる。もちろんA級戦犯は入れない。日本版の「アンヴァリッド(廃兵院)」もしくは「パンテオン」である。首相はここに堂々と毎年、国家行事として参拝する。日本国の総理大臣として日本のために戦った過去の軍人と武人に最大限の敬意を表するのである。外国では当たり前のことであり、国際的に問題となるはずもない。遺族会も、自衛隊員も、軍国主義者も、社会主義者も、共産党員も、グローバリストも、会津の人も、薩摩の人も、一部の神道信者を除き国民のほとんどが満足するやり方ではないか。

靖国神社は靖国神社で信仰の自由はあるので従来通りやっていただく。好きな人だけが行けばよいのである。

2003年1月12日日曜日

Le Monde : 今日に於いては、金持ちを優遇せねばならない

2003.1.12
ヨーロッパ・モデルとアメリカ・モデルを、架空の手紙のやりとりで解説しています。けっこう面白い。アメリカ・モデルは経済的には成功するかも知れないが、中流階級を分裂させることで社会を不安定化に繋がり、民主主義の観点からは受け入れられないとい言うもの。でもこれを読んで、日本の反グローバリストが元気づけられても困ります。日本の経済的蓄積と民主主義はまだまだ一周遅れなのですから、ヨーロッパの立場からの対米批判をそのまま借りることは出来ないと思います。

par Eric Le Boucher
Aujourd'hui, il faut aider les riches
CHRONIQUE DE L'ÉCONOMIE (2003.1.12)

今日に於いては、金持ちを優遇せねばならない
ルモンド解説記事


きのう、ワシントン政府に勤める友人のエコノミストからこんな手紙を貰った。読んであげます。

「ヨーロッパ人は、いつになったら弱者や負傷者や貧者を恒に助けなければならないと言う、古くさい道徳を捨て去るのですか? いや、貴方が個人的にそういう人たちに同情や憐憫の気持ちを持つことは貴方の勝手ですが、公共政策としては、この費用がかかる傾向にある政策を打ち砕かねばなりません。近代経済に於いては、全く別の方法でその問題に対処しなければならないと言うことに、そろそろ気が付かれても良いのじゃないでしょうか。金持ちを優遇するのです! はい「金持ちを」です! 政府は彼等を支えて、彼等に気を配り、相当の所得税減税をしなければならないのです。効率と言うことを一度考えてください。今日に於いては、資本家階級こそが、投資をし、技術革新を行い、リスクを取り、経済成長を高めるの人たちなのです。そしてその結果もたらされる経済成長は力強いものであり、社会全体が、貧乏人も含めて、そのおこぼれに授かるのです。パンくずみたいな、金持ちの食べ残しにしか過ぎないとおっしゃるのですか? 現実的になりましょう。確かに「食べ残し」かも知れませんし、それについては誰も否定はしないのですが、その「食べ残し」は、現在ヨーロッパがしつこく維持しようとしている弱者救済政策により貧乏人が受け取る金額よりも大きいのです。何が何でも生活窮乏者を助けようと言う政策が、貧乏人を含めて全ての国民を豊かにするところの、力強い経済成長を妨げているのです。

弱体化するヨーロッパ


米国を見てください。ロナルド・レーガンによる所得税減税と「世襲財産」資本主義の採用が、保守革命を起こし、富の分配において歴史的な大変化をもたらしました。1930年代からの不平等を食い止めようとする政策が中止されたことで、その偏差の調整を見越した大ブームが起こったのです。はい。そうして、1980年代には、全ての側面で危機に直面していたこの国は、現在、ご存じのハイパーパワーとなったのです。ソ連のマルクス主義は死にました。計画主義の日本は非道く窮地に陥っています。社会民主主義のヨーロッパは停滞しています。米国は何千万もの新しい質の高い雇用を作りだし、失業をやっつけました。アメリカは研究開発に巨大な投資をし、先端技術の全てを抑え、地球上の最良の芸術家、スポーツマン、学者を独占しているのです。

貧困問題ですって? それについて話しましょう。貴方も同意いただけると思いますが、この問題の最良の解決方法は、補助金をばらまくことではなく、生産性の上昇を通じても雇用の増大と賃金の上昇なのです。これが米国で起こったことです。結果は、1990年には15%であった貧困層の比率が2001年には12%に低下しました。始めて黒人の失業率が10%を切りました。貧困問題とは、相対的な問題です。エコノミストのダニエル・コーヘンがルモンドにも寄稿したように、ヨーロッパの平均的富裕度は、一時米国との差を縮めましたが、この20年でまた再び差が開いています。別の言い方をすれば、政府の補助が受けられない米国人である方が、政府の補助を受けるヨーロッパ人より、よっぽど豊かだと言うことです・・・。

ブッシュの計画


納得しましたか? あなた達は、我々米国人のやり方に従う方が賢いです。米国はもっともっとこれを続けますから。ブッシュ大統領が発表した「雇用拡大」を目指す新計画で、アメリカは更に有利になります。ああ、言いたいことは分かります。アーバン研究所が言っている、ブッシュが今後10年で使う6470億ドルの内42%がアメリカ人の上位1%の最富裕層のために使われるということを仰りたいのでしょう。年に100万ドル以上の収入がある家計では32000ドルの得となるに対して、年収21000ドルの独身世帯では47ドルしか得にならないと言うことを仰りたいのでしょう。また、ブッシュ計画の目玉である配当金に対する課税全廃は、貯金を年金積み立てに回している普通の人たちにとっては何のメリットもないと仰りたいんでしょう。OK、OK。まさにその通りなのですが、このブッシュ計画は、株式相場の急落や戦争の可能性で不透明な経済状況の中で、投資家を元気づけるものなのです。我々はこの計画でもって投資と貯蓄を刺激するのです。過剰消費に陥っている米国経済にとって、これは今まで為されていなかったことで、必要なことなのです。簡単に言えば、この計画は経済を飛躍させ、ヨーロッパの経済成長率より高い1.5%と言う成長率を可能にするものなのです。やっと分かりましたか。先行している人間のやることをすごさを認めなさい。ヨーロッパの古くさい平等主義はヨーロッパの衰退をもたらします。」

民主主義

これに対して私は次のように返事を書いた:

「さあ、どうでしょうか。ブッシュ計画について一番事情に通じている人の反応を読む限り、この計画が成長率を高めるという目的を達成できるかどうかよく分かりません。もっと別の方法、企業や貯蓄に対する直接的な助成の方が良いように思えます。しかし結果は見てみないと分かりません。もっと基本的なことを指摘したいと思います。不平等は、基本的に技術革新によって牽引されている経済にとって、ダイナミズムの要素となりうるのでしょうか? それが米国がヨーロッパと距離を置く理由でしょうか? トム君、失業率は、ヨーロッパに於いてもスエーデンとかオランダなど、不平等主義を取らず逆に平等主義を取っている国で、アメリカ以上に改善を示しているのです。もっとも、アメリカの方が成長率が高いことは認めますし、アメリカ経済が現に力を取り戻した事実は、仰っていることを全く否定するわけにはいかなくしていることも認めます。これはまさに、われわれが平等とダイナミズムをヨーロッパ的なやり方で融合させようとして「ヨーロッパ・モデル」の再考を考えている目的(理由)でもあるわけです。我々は成金ではありません。成金とはかけ離れています。それは事実です。

しかし、あなた方の将来はそれほどバラ色だとは思いません。アメリカは新しい階級闘争を作り出しています。三つの階級、すなわち貧困層、中流層、スーパー富裕層です。問題は、富裕層がもっともっと豊かになると言うことではありません。貧困層の存在も新しいことではありません。問題は、中流層にあるのです。中流層は分裂を始めており、大多数の中流層は、資格形成の不足か個人的な自信の欠如のため消極的になっており、競争や彼等に押しつけられた不安定な状況を拒否するようになっています。将来に対する信念のおかげでアメリカはヨーロッパより長くこういうことを続けられるでしょう。しかしあなた方アメリカのモデルは不安定なのです。私は政治と民主主義について話しておるので、道徳のことを言っているのではありません。」

Eric Le Boucher

ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 12.01.03

2003年1月8日水曜日

〔再録〕どうして<省事>ができない?


旧HPより:

2003.1.8 視点「どうして<省事>ができない?」



会社を退職してからしばらく経ったある日、退職仲間の数人で集まろうとしたことがある。いずれも悠々自適を楽しんでいる人たちであり、みな暇なはずで翌日にでもと思ったのだが、日程を調整するのにえらく苦労した。皆さんは何かとお忙しいようなのである。ようやく全員の都合の良い日時が決まったが、それは数週間も先の日取りであった。会社を退職すると手帳の予定欄が空白になるのは自然なことである。でもそれは一種の恐怖感を人に与えるもののようで、皆さんは、それ展覧会だとか、それ同窓会だとか、パック旅行だとか、何でもかんでも予定表に入れてゆかれ、予定欄が埋まるとはじめてほっとされるようなのである。勘ぐるわけではないが、それがまた自慢でもあるご様子。予定表白欄強迫症候群とでも呼ぶべきか。長年の二宮尊徳型の勤勉習慣が、すっかり身に染みついてしまって、常に何かしていないと落ち着かないということになり、何もしないでよいという人類本来の最高の楽しみから退職者を限りなく遠ざけているようなのである。


正月3日の日経新聞に、偉大な経済学者ガルブレイスが「新しい価値観に対応を」と題して日本人は経済や社会の成功の意味、評価の尺度を問い直すべき時だと、余暇を楽しむ生活の幸福度の重要性を強調されている。まことに卓見であるが、一つ付け加えるとすれば、強迫観念に追い立てられて「余暇」から「余暇」へと走り回る生活は、本当の余暇でもないし本当の幸福でもないということをもうちょっと説明しておいてくれた方がよかった。西欧文明に生きるガルブレイスにとっては、これはあまりにも自明のことであり、言わずもがなであったのだろうが、勤勉習慣が染みついた日本人に読ませる論文ではもうちょっと親切心があってもよかったと思う。西欧では、聖書の時代から、労働は苦痛を意味するものとされ、その対極にあるのが、エデンの園での「何もしない生活」であった。ヨーロッパの長い夏の休暇を、砂浜で何もしないで寝て過ごす人々を見て、「何で何もしないのだろう」と訝しげに感ずる日本人が多いのであるが、あれこそがエデンの園の生活の実践であり有閑階級の生活なのである。余暇から余暇へ走り回る生活は貧しい。 

もちろん、何もしない生活が続くと退屈してくる。そこで人は「時間つぶし」を考え、自分で遊びを工夫するのである。それが余暇であり、人は自分の身の丈と能力・素養と趣味に応じた自分だけの余暇活動を自分で工夫するものなのだ。既製品の「余暇」に我先に飛びついたり、「定年後の余暇」とか言うハウツー本を読んで真似をするものではないだろう。古来から遊びとか文化とか創造はこのようにして生まれてきたものだ。人口の高齢化が進み、今後定年退職者層という「有閑階級」が増える日本に於いては、文化とか芸術、更に創造的な発明などが期待できてもよいはずなのであるが、このように「何かやっていないと気が済まない」症候群に取り付かれた人たちばかりだと、それすら望むべくもないだろう。 

これは実社会で活動している現役にも当てはまるように思える。企業組織で働く多くのサラリーマン諸兄も、この「何かやっていないと気がすまない」症候群に取り付かれていないだろうか。最近どっかの賞を取ったという警察小説『半落ち』(横山秀夫)を読んだが、額面通りではないだろうが、この小説に出てくる有能な警察とか検察の人たちが組織の面子という実に下らないことだけのために多大のエネルギーを浪費して一日24時間働いているいる様には、全くうんざりした。個々の仕事は立派であるが、全体の生産性がきわめて悪いのだ。日本社会全体で「省事」と言う言葉(やらないでも良いことを省くという中国の格言)を思い起こす必要があると、改めて感じた次第である。 

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten2003/shiten20030108.html

Posted: Wed - January 8, 2003 at 07:11 AM   Letter from Yochomachi   視点 (Opinion)   Previous  Next   Comments  

2003年1月7日火曜日

〔再録〕荷風と山鳩

2003.1.7


荷風と山鳩

寒い日が続いたかと思うと、日曜日の午後、キジバト(ヤマバト)が一羽余丁町のわが家の庭にやってきました。『断腸亭日乗』を調べるとほぼ同じ時期に荷風も山鳩を観察していることが分かりました。キジバトとは俗に山鳩とも言いますが、学名は Streptopelia orientalis といい、体長約33センチ、体は葡萄色を帯びた灰褐色で、雨覆は黒くて赤褐色と灰色の羽縁があり、頸側には黒と青灰色のうろこ状の斑が在る鳩です(日本野鳥の会)。普通は山地に住んでおりますが厳寒の頃にはあまりの寒さのためか町中にやってきます。余丁町は東京23区でも最も高い位置にあり(戸山公園の箱根山が23区で海抜が一番高いのですが、余丁町もほぼ同じ高さにあります)山鳩も飛んで來やすいのでしょう。荷風はこの山鳩に特別の思い入れがあったようで、『日乗』には大正7年1月7日と昭和11年1月22日の二回に渡り記述があります。いずれの記述も、飛んできた山鳩に自分の寂しい生涯を見立てたり、過ぎ去った過去への郷愁を語るものとなっています。母恒の言葉が具体的に引用されているのは此のくだりだけではないでしょうか。荷風は更に、山鳩を見ることで、唖唖子、鴎外に就いても思い起こしています。厳寒の頃、山から一羽だけでやって来て落ち葉を踏み歩くキジバトに、散人も昔の日本の冬は寒くて寂しかったことを思い出しました。本邦最初の「バード・ウォッチャー」荷風の一側面をご紹介したいと思います。

<断腸亭日乗より引用>

大正7年正月7日。山鳥飛び來たりて庭を歩む。毎年厳冬の頃に至るや山鳩必只一羽わが家の庭に来るなり。いつの頃より来り始めしにや。仏蘭西より帰り來たりし年の冬われは始めてわが母上の、今日はかの山鳩一羽來りたればやがて雪になるべしかの山鳩来るに日には毎年必雪降り出すなりと語らるるを聞きしことあり。されば十年に近き月日を経たり。毎年來たりてとまるべき樹も大方定まりたり。三年前入江子爵に売却せし門内の地所いと広かりし頃には椋の大木にとまりて人無き折を窺ひ地上に下り來たりて餌をあさりぬ。その後は今の入江家との地境になりし檜の植え込み深き間にひそみ庭に下り來たりて散り敷く落ち葉を踏み歩むなり。此の鳩そもそもいづこより飛び来れるや。果たして十年前の鳩なるや。或いは其の形のみ同じくして異なれるものなるや知るよしもなし。されどわれはこの鳥の来るを見れば、殊更にさびしき今の身の上、訳もなく唯なつかしき心地して、ある時は障子細目に引きあけ飽かず打ち眺めることもあり。ある時は暮れ方の寒き庭に下り立ちて米粒麺麭の屑など投げ与ふることあれど決して人に馴れず、わが姿を見るや忽ち羽音鋭く飛び去るなり。世の常の鳩には似ず其の性偏屈にて群れに離れ孤立することを好むものと覚えし。何ぞ我が生涯に似たるの甚だしきや。

昭和11年1月22日。山鳩一羽西向きの窓に茂りし椎の木立の殊に小暗き葉かげを求め、朝の中より昼過ぎるころまで動かず作りしものの如く枝にとまりたり。こは今日初めて心づきしにはあらず、いつの頃よりとも知らず厳寒の空曇りし日に限り折節見るところなり。大久保余丁町の庭にも年々寒さはげしき日一羽の鳩の來りしことはたしか二十年前の日記にしるし置きたり。二十年前のわが身はまことに寂しきものなりけり。されど其のころには鴎外先生も未簀を易へたまはず、日々来往する友には庭後??子あり、雑誌つくりて文字を弄ぶたのしみも猶失われざりき。二十年後の今日は時勢も変わり語るべき友もなくなり老いと病の日々身に迫るをおぼゆるのみ。この日薄く晴れて後空くもりしが夜に至りて星影冴えたり。銀座三越に行き食料品を購ひ茶店久辺留に立ち寄ればいつもの諸氏在り。諧語に時の移るを忘れ例の如く夜半家にかへる。

<引用終わり>











20年近くも経っているのに、むかし日記に書いたことを覚えているのは、相当の思い入れです。荷風が好きな動物はほかにどんなものがあったのか、それぞれの動物にどんな思い入れを託していたのか、調べてみると面白いかも。